Everything beginning is to myself

自分の考えなどをブログにします。

好きなことをやろうと思ったきっかけ

高校生

僕は高校生の時まで野球しかやってこなかった。

勉強なんてものは一切せずに本気で甲子園を目指し、プロ野球選手になりたいと小さい時からずっと思いながら、 野球をしていた。

しかし、高校2年生の時に今後の進路をどうしようか考える時間があった。さすがに高校2年生になると、自分が プロ野球選手になれるかなれないかくらいの判断はできるようになる。野球で生きて行くのは無理だと悟った。

今まで野球しかしてこなかった自分になにができるのか?

そんなある時、母親がいきなり大学受験するために塾に通いなさいと言い始めた。 僕は、高校の野球部で寮生活をしているのにだ。

さらに、僕がいた高校はとある大学の付属の高校でもある。受験をせずに大学にいけるというのに、 いきなりそんなことを言い始めた。

寮生活は?野球部は? しかし、母親は半ば勝手に塾を決め、流れで寮をやめることになり、塾に行くことになっていた。 昔から、生物系のことは好きだし、何か研究することは好きだった。また、食品関係の仕事につけば、人間が行きている限り仕事はなくならないだろう という理由で、食品関係の仕事をしたいとも考えた。

そこで、とある農業系の大学を目指した。

いざ塾に通い始めたが、まわりの高校生とのレベルの差を感じ、さらに勉強が嫌いになった。 目指している大学の過去問などを問いてみても全くわからない。

諦めずに通い続けいざ受験がやってきた。大学受験。。。

何個か大学を受けたが全て不合格 どの通知を見ても不合格

人生そう甘くない。。。。。。。。

これから自分は何がしたいのか?どんなことがしたいのか?やっと勉強たるものが好きになってきた。もっと勉強してみたい。 もっとレベルの高い大学を目指したい。浪人してでもやってみたい。 そういう思いが湧いてきた。

しかし。。。塾からの電話

塾の先生:『北海道にあるとある短大の募集がまだあるから受けなよ?』 俺:『どこですか?それ。。。しかも文系?』心の中では絶対行かないと決めていた。

僕には強敵がいたのだ。母親という存在。また人の人生に口を挟んできた。

『そこの短大に行きなさい。あなたには浪人したって行きたい大学にいけるかわからないんだから。』と。

確か、俺は泣いた。ものすごく泣いた。そんな記憶がある。悔しかった。とにかく悔しかった。バカにされてる気分だし、誰にも認めてもらえてないんだってそこで気づいた。

何もかもやる気がなくなり、仕方なく北海道にある短大に行くことに決めた。 寮をやめ、野球の練習終わりに塾に通い、やっと勉強が好きになってきたのに、何か腑に落ちなかった。

北海道の短大生活

北海道へ行き短大生活が始まる。 何かしたいという思いはなくなり、とりあえず人の役にたとうという思いだけが残った。

短大なので、一年生の時からゼミに入ることになる。 どのゼミに入るか。ゼミ紹介があった。

正直最初は消去法でMゼミというゼミを選んだ。本当にただそれだけだった。

しかし、ゼミの先生が口にしたことが心に響いたのだ。

「ここにきている人たちはきっと受験に落ちた人たちが大半だと思う。ただ何もしない二年間と北海道にきたからにはそれなりのことをやる二年間とでは何もしないやつとの差が開く。ましてや東京にいる大学生との差も開く」 こんなことを言っていた。

そしてこの人の下で何かやっていたら面白いことが起きそうだとも感じた。

せっかく北海道にきたからには、北海道でしかできないこと、東京にいたらできないことをやろうと決めた。 誰にも邪魔されずにやりたいことができる環境。邪魔者はいない。

まず最初にとにかくいろんなイベントやボランティアに参加した。多くの出会いもあった。ちなみこのボランティアで出会ったとある女性と結婚することになる。

そして、北海道かー。。。一周したいなーという思いからヒッチハイクという手段で一周しようと思った。 ものすごく不安ではあったが、何も失うものはない。とりあえずやってみようと思った。

僕は小学生の時にお兄ちゃんにものすごくいじめられていた。死んでもいいとも思うくらいだった。だから一度死んでもいいと思ったことがある人間は怖いものはなかった。

初のヒッチハイク。一週間ほどで友人三人と北海道一周ヒッチハイクに成功

その後、この三人ならなんでもできる気がした。 この三人はゼミも一緒だった。

ゼミでは地域活性化を課題として、活動していた。

僕はこんなことを感じていた。『地域活性化って座学を学ぶより何かやっていったほうがいいんちゃうの?』と。

そこで、自分にできることは何か?を考えた結果『掃除』だった。 手始めに無人駅の駅舎清掃から始めた。これなら、地域の人たちも黙ってはいないだろうという考えもあった。

活動を始めたのはゼミ仲間四人からのスタートだった。 そして「新聞とか雑誌に乗れるようにしようぜ」なんて会話もしていた。

最初はとにかく近くの住民の方々に話をしに行き、道具を借りたり、一緒にやらないか?など、とにかく自分たちから動いて、地域に出るようにした。

僕はそれがものすごく楽しかった。みんな協力してくれる。 なんでもできる気がした。

二年生になると、東京の大学への編入などまた今後の人生について考える機会があった。 俺は起業がしたい。そう思った。なぜ起業がしたいのか?ヒッチハイクの成功体験。地域での活動の成功体験からだ。

みんなと協力しながら何かの目標に向かって活動するのが楽しくなった。また、北海道という地が好きなり、職がないなら自分で作ってしまえという考えもあった。

好きなことをしながら、好きな場所で、好きな人たちと仕事をしたいという思いが強くなった。

この短大生活がきっかけで、僕は好きなことをして生きていくことの楽しさを知った。誰かの人生を生きるのではなく自らが決めた道を歩もうと。。。

もう一つのきっかけ。

僕の両親は僕が北海道にいる2年間の間に勝手に離婚をしていた。僕は何も知らされていない。相談もなし。北海道から実家に帰った時に知った。

親は勝手だなーと思った。誰かを信じて誰かの道を歩んだって必ず途中で裏切られるのかと思った。

だから自分で決めた道、自分がやりたいことをやっていこうと決めた。

今までは半分母親の言うことを聞いて生きてきた。きっと親の喜ぶ顔が見たかったんだと思う。。。 親の言うことを聞いて、一生懸命頑張って親が褒めてくれる。それがきっと嬉しかった。

北海道の短大へ行き、2年間頑張って編入したらきっと喜んでもらえると思っていた。

しかし、現実は違っていた。親は自分のことなんて一切考えていないんだと思った。裏切られた気もした。 今まで自分は親のために生きてきたんだとそこで気がついた。

だから今後は自分が決めた道、自分が好きなこと、自分が直感的にやりたいことをやっていこうと決めたのだ。。。

僕は小学生の時に死んでもいいと思っていた。生きている喜び。それは親に褒められた時だけだった。だからここまでこれた気がする。 しかし、大人達は自分勝手だった。だから、僕も好きなことをしていいんだと気づいた。

気づかせてくれたことに感謝。

人はいつ死ぬかわからない。明日かもしれないし、明後日かもしれない。来年生きている保証は誰にもない。 だから、とにかく好きなことをやって生きていこう。。。。

自分の人生が今日で最後だとしたら、今からやろうとしていることをやりますか? これが毎日続くようだったら自分の行動を見直す時かもしれません。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

また、今後も不定期ではありますが、ブログを更新していきますので、今後ともよろしくお願いいたします。